【ヒキコモリからシアワセモノへ】正しいも正しくないも意味はないのさ 〜今、心のコップから溢れ出しているもの〜
気づけば勤めていた会社にパタッと行けなくなりヒキコモリ生活が始まってから2年が経ちました。
今も仕事はしていないけれど、徐々に自分の心が向かう方へ足を運ぶようになり、ヒキコモリもいつのまにか卒業していると自分では思っています。
ふと思い立ったので自分も読んだ人も辛い気持ちになるかもしれませんが、このブログでその2年間を振り返りたいと思います。
(これも何かの巡り合わせかもしれません)
自分にウソをついた先に
僕は就職してから6年間、ずーっと自己否定を、自分の心に傷つけることを繰り返していました。
7年目に新しく配属された職場での人間関係と、自分の仕事のできなさに自己否定はさらに強まっていきました。
それまで心のコップの水があふれないようにあふれないようにあふれないように自分にウソをついて頑張っていたのだけれど、ついにその時が来てしまいました。
僕は家から一歩も出られなくなりました。
その直前にすでに兆候は現れていて、職場では自分の席を離れてトイレや人気のない場所でうずくまっていたり、わざと終電に乗れない時間まで仕事をして、歩いて帰りながら交差点で家とは違う方向にふらっと歩いてみたことも何度かありました。
家から出られなくなってから会社や家族から何度も電話がありました。
きっと心配の電話だったのだろうけど、当時の僕にはそれが怖くて怖くて怖くて、ケータイから離れて耳を塞ぎ着信が止むのをただただただただ待つしかありませんでした。
家の外に出ることすら怖くて買い物もできず日に日に食料も減っていき、最後の方は炊いたご飯にソースやらマヨネーズやらケチャップをかけて食べ、ご飯が尽きた時はその調味料をなめて凌ぐしかありませんでした。
そのあとはやっとの思いでアマゾンでゼリー飲料を箱買いし、なんとか命を繋ぎ止めていました。
それからは通勤していた頃にも増して変わらない景色の中で変わらない毎日を過ごしていました。
時間の感覚すらもわからないまま、出来損ないの自分と否応無く向き合うしかありませんでした。
僕を”生”に繋ぎ止めていたもの
答えの出ない自問自答と言葉にできない違和感に苦しむ毎日。
時には自分を消してしまいたくもなりました。
そんな霧の中を彷徨い続けるような日々の中で、”僕を生に繋ぎ止めていたもの”が音楽でした。
あたしたち違う人間になりたかった
青春の夜明けはひび割れたガラスのよう
誰より本当は傷つけられたような
やさしい瞳はひび割れた子供のよう
ごめんね
正しいも正しくないも意味はないのさ
君はすてきだ!困った顔がよく似合う
ごめんね 忘れてくれ
あらそいも、約束も、流した涙さえも
ちっぽけだった
ごめんね
殺してくれ!と叫びだすような恥ずかしい夜は
抱きしめててくれよ、ほんとごめんね
ありがとう
あらそいも、約束も、流した涙も
ありふれてるあたしたちの運命も
ごめんね
この曲は当時の自分の心の中に不思議とすーっと入ってきました。
今思うと、誰かにただただ優しく抱きしめてもらいたかっただけなのかもしれません。
それからも自問自答は続きました。
それでも答えの出ない毎日。
そんななかでも時には手応え感じる日もありました。
心の叫びを信じた先に
休職という選択をして行ったり来たりする心と向き合う中、通院を通して少しずつ外出できるようになってきた僕を見て、会社は職場復帰に向けて動き出しました。
しかし僕は、
”このままではまた同じことを繰り返すだけだ!”
という心の叫びを感じ、家から出られなくなってから半年後の12月をもって退職することを決めました。
もしかすると、自分の心の叫びを信じて行動したのはこの時が初めてかもしれません。
それからは岩手の実家に戻り、地元のクリニックに通院しながら日々を送ることになります。
大好きなサカナクションのライブに思い切って行ってみたり、家族でお好み焼きを作って食べたり、春には病院の帰りに散歩がてら桜を眺めたり、僕は少しずつ自分を取り戻していきました。
光を見出した出会い
そして1年後(今から1年前)の夏、ネット上でのある出逢いから僕の人生はこれまでとは違う方向へ大きく舵をきりはじめます。
その出逢いはこれまでの人生を根底から覆すような衝撃的なものでした。
そして僕はその出逢いを通して、新しい光を見出したのです。
その出逢いから多くの仲間と出会い、トゲトゲしていた僕の心は少しずつ丸くなっていきました。
そしていつしかその仲間のいる東京に行きたいと思うようになり、それは数々のすばらしい巡り合わせの先で果たされました。
それからは逢いたい人や触れてみたいものの所へ足を運ぶ旅をし始めるようになります。
その頃には”自分の心に素直に生きること”が少しずつできるようになっていて、行く先々でのステキな人たちとの巡り合わせの中で、”シアワセ”と”生かされているということ”を感じられる日々を過ごすようになりました。
ヒキコモリからシアワセモノへ
家から出られなくなったヒキコモリから2年後の今、僕はシアワセモノになりました。
そう感じさせてくれるステキな人たちとの出逢いの先に、シアワセを感じる心を手に入れました。
これはお金では決して手に入れることができません。
このシアワセは自分の心に素直に、そしてその心を人に開いて初めて手に入れることができたかけがえのない財産です。
きっと2年前のこの出来事がなかったら、今のシアワセはなかったように思います。
ヒキコモリは正しいのでしょうか?
ヒキコモリは間違っているのでしょうか?
正直僕にはわかりません。
でもそれは時代や国や性別など見方を変えればいくらでも姿を変えます。
だから”正しいも正しくないも意味はない”ように思います。
ヒキコモリでよかった!!\(^o^)/
ただ、今の僕に言えるのは
”ヒキコモリでよかった!!”
それだけです。
ヒキコモリになって初めて見える世界がある。
ヒキコモリでしか見えない世界がある。
それは事実だと思います。
”ヒキコモリなんて価値がない!いい加減会社に(学校に)行け!つべこべ言わず仕事(勉強)しろ!”
そう言うのは簡単なことだけど、その当事者であるヒキコモリの心の内をしっかり感じてあげてほしい。
優しく抱きしめてあげてほいい。
たったそれだけのことでどれだけの心が救われるか。
でも、たったそれだけのことが僕らには難しかったりする。
否定すること、批判することはカンタンです。
けれど、
そうやっていくら否定しても、それは存在しつづけます。
そうやっていくら批判しても、それはあなたの愛情不足を露呈するだけです。
何かを否定したり批判したりすることは、結局は自分を否定したり批判したりすることと同じです。
なぜなら全てはどこまでも途切れることなく繋がっているからです。
僕はヒキコモリという過去があったから今という時をシアワセを感じながら生きることができているのだと思います。
だからヒキコモリだった過去の自分に今は感謝しています。
”ヒキコモリでよかった!!”と心からそう思えます。
【シアワセモノが望むセカイ】
僕は全ての人がそれぞれのキライなもの、ニガテなものも認められるような優しい社会であってほしいと思います。
賛成とか反対で世界を分断してしまうのは僕はキライだけど、それを否定したり批判したくはありません。
さっきも書いたけど、何かを否定したり批判したりすることは、結局は自分を否定したり批判したりすることと同じだからです。
全てはどこまでも途切れることなく繋がっていて、全てを認められる社会はどこかの誰かだけでなく、僕自身にも優しい社会だからです。
あれも正しい、これも正しい。
あとはそこから自分の心が望む方へ進むだけ。
そんな優しい社会であってほしいのです。
今、心のコップから溢れ出しているもの
僕はたくさんの出会いの中で、多くの愛をもらいました。
そしてシアワセを感じるようになり、そして今、その愛は心のコップから溢れ出しています。
溢れ出したのは2年前と同じ不安ではありません。
今はぬくもりを感じる愛が溢れ出しています。
今度はその幸せを多くの人のために使っていきたいと思っています。
恩返しではなく、恩送りです。
自分のためは誰かのため
気づいたら僕は自分の心にウソをつくのをやめていました。
というかもうウソなんてつけない人間になってしまいました。
だから僕はこれからも自分の心の声に素直に生きていきます。
それは結果的に自分だけじゃなく、周りや世界も幸せにするのだと思うから。
My favorite song!!
the HIATUS - Tales Of Sorrow Street - YouTube
歌詞はこちら→the HIATUS/歌詞:Tales Of Sorrow Street/うたまっぷ歌詞無料検索
※動画の概要欄に和訳が載せられています
僕を含め、こういう優しい曲に救われている人ってたくさんいるように思います。
震災の時、多くのミュージシャンが自分の役割に疑問を持ったと聞きますが、絶対に救われている人はいると思うので、というか僕自身がヒキコモリだったとき救われまくっていたので絶対大丈夫ですよ!!
Just don't mind!!
You'll be fine!!